競馬場のナゾ(中京編)

1.朝日杯フューチュリティステークス2011を完全予想!

出走馬の血統傾向と瞬発力を考慮に入れレースの展開を予想。


2.朝日杯フューチュリティステークスの情報

馬の成績・集中力を主体にパドック後に予想を配信!


3.勝ち馬はこれだ!

独自の情報から予想を展開する回収率の高い馬券情報を提供しています。


中京競馬場はメイン開催ではないので、どうしても地味な印象がある。
GI開催にしても高松宮記念だけ。長年の競馬ファンであっても「まだ中京
には一度も行ったことがない」なんていう人もたくさんいるのではないだろうか?
テレビの競馬中継にしても、グリーンチャンネル以外の民放であれば放送は
どうしてもメイン会場中心で進行するので、中京でのレース実況はメインレー
スのみとなる場合も多い。放送される映像も「ゴール前の結果だけ」なんての
が当たり前。中京競馬場のレースは、現場に行く以外は、目にする機会が非常に少ないものとなっているのである。
そんな中京の「あまり印象にはないはずの特徴」をひとつ指
摘しておこう。
「なぜか中京ダート-700メIトルは特にレース中の事故が多い」のである。

実はこれ、騎手たちの間では常識になっているものだ。
落馬の発生件数がやたらと多く、馬が予後不良までになって
しまう重大なケースも多い。そのほとんどが馬がつまずくとい
う表現がピッタリくるそうで、転び方としても「何かに脚遷と
られる」ような感じがするとか……。事実、中京の開催データ
加年分をもとに、他場との予後不良馬の数を比較したみたとこ
ろ、開催されるレース数からみた割合でも2倍以上の発生があ
ったと聞いている。だからこそ、騎手たちは中京ダート-70
0メートルとなるといつも以上に気をつけて乗っているそうだ。
いったいなぜこのコースだけ、事故の発生率が高いのだろう?
まず最初に思いつくのが、コースの形態、または馬場自体の構造に問題があ
るからではないかということだ。この疑問は、中京のダートだけ「下地面が堅
い」とか「違う種類の砂が入っている」という可能性があるとすれば原因究明
の糸口になる。しかしこれらは「中京競馬場だけ構造が別ということはない」
という馬場管理からの回答ですぐに否定された。
また、同じ中京競馬場のダートコースでもほかに1000メートル、160
0メートル、2300メートルなどの距離レースだって施行されているわけな
ので、あえて「中京ダート-700メートル」だけに事故が集中するというこ
とも変である。結局この問題は、騎手や調教師たちの間であれこれ検討された
が、原因不明のままで放置されてい

ただ、騎手からの証言のなかには面白いものがいくつかあった。
集中的に「ヘンだ!」と指摘されていたのが万一Iトー700メートルのス
タート》地点9番ゲート』だ。なぜかこの場所だけ頻繁にゲート内での落馬が起きるとのこと。1日で3回も同じゲート内で落馬が起きたこともあるというか
ら、これはもう偶然の域を超えている。一時は「モグラのせいじゃないか」と
もいわれたが、いつも同じ場所にモグラが穴を掘って馬を転ばせるなんてのも合点がいかない。

そんな折、素人歴史愛好家でもある某調教助手Kさんから、驚くべき新説が
飛び出した。元々愛知県出身であるKさんは、馬の事故が頻繁に起こる中京競
馬場ミステリーを独自に調べ続け、その原因を中京競馬場のある場所に問題があると指摘したのだ。
「私は中一塁醒圃場が古戦場の跡地であることに問題があると思うのです」
テンガロンハットを被ったKさんはまるでインディ・ジョーンズのように見
えた。さすが歴史愛好家。数々の新聞や雑誌の切り抜き、文献のコピーなどを
しっかりとファイルにまとめ、それらをいちいち私に見せながら説明してくれた。
「いいですか。中京競馬場のある愛知県豊明市は、織雪璽恒霊匙罰山霧空庖破った有名葱『桶狭間の戦い』があった場所なんです。1560年、
休憩をとっていた今川義元本隊を、数では圧倒的に少なかった
織田信長が急襲。奇襲は大成功し、信長側の武将が田楽狭間と
いう場所で今川義元の首を取り、織田信長は勝利するのです。
数で勝る今川軍は油断していたんですね。この戦いで勢いを得
た信長は、以降、急激に勢力を伸ばしていったというわけです」
私はすっかり学生時代の気分になっていた。
「現在、中京競馬場のある豊明市には『桶狭間古戦場伝説地』
という碑があります。これは競馬場のすぐそばにあるのはご存
じですよね。ところが、実際に両軍の戦闘が繰り広げられた場所そのものは断定されていないんです。これには諸説あるよう
ですが、私は『信長記』に記されている今川の首を取った『鴎楽が窪』という窪地こそ、車一塁窪痴湯その篭のだと思っているんですよ」
なんとKさんは、歴史の時間に我々が習った『桶狭間』こそ、現在の中京競
馬場だと主張するのだ。彼は特に「パドックの横にある装鞍所から厩舎区へと降りていく部分」。明らかに一段低い部分である厩舎区こそが、今川軍が陣を
張っていた「田楽狭間」そのものだというのだ。
「結果として私がいいたいのは、ダート-700メートルのスタート地点、
9番ゲートに当たる場所こそ、』恒屋車の兵が《認山義元を追い詰め、首をとった
垣騒朋ではないかということです。つまりそこで事故が多発するのは、いまだに
敵の騒馬だと思っている含川の亡霊が、馬の脚を引っ張っているにほかならないというわけです」
最後はすっかりオカルトめいてしまったKさんの力説であったが、物理的に
原因がハッキリしていない以上、私も反論することはできなかった……。

ちなみに後日、封
証言をしてくれた。
「私は歴史的なことは知りませんが、ここ(中京競馬場)を整地するときに
は、随分と多くの人骨が出てきたんですよ。しかも首のない胴体の部分ばかり。
あれこそ桶狭間の戦いのときのものじゃないんですかね」
中京競馬場が戦場跡地なのはどうやら間違いなさそうだ。
あとは、馬の事故が多発する原因が何かの呪いでないことを祈るばかりである・・・。

人気のあるサイト競馬予想

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL: